7月11日、親父の月命日に松本に帰省してきました。
仏壇に線香をつけ手を合わせてきました。
東日本大震災から11年と4か月。
東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともにご遺族の皆様にお悔やみ申し上げます。
震災から約4年後の母校である閖上中学校。
2時46分で時計は止まったまま。
撮影したのは2014年3月。
その翌年には復興土地区画整理事業に伴い取り壊しが開始。
その直前の写真です。
多くの住民を津波から救ってくれた建造物。
それでも名取市民だけで700人以上が犠牲になりました。
震災直後に行方不明だった親父を探していた時、避難所で隣近所のおっちゃんとおばちゃんに話を聞けました。
「逃げる直前までお父さんと一緒だったのに...」
一軒隣が親父の同級生が住んでいて。
避難所を探し回っていた時に申し訳なさそうに語ってくれました。
「お父さんを車に乗せたんだけど...」
そう話を続けました。
お隣さん同士が車に乗り合いで非難する時にうちの親父にも声を掛けてくれたらしい。
「津波が来るから早く逃げないとっ!」と。
一旦後ろの座席に乗せたものの、親父は思い出したかのように...
「俺はいいから、先に逃げてて!」
と言い放ち車から降りて自宅に戻っていったらしい。
そう言われた隣近所のおっちゃんとおばちゃん達は、呼び止めても聞かない親父を残し避難所の中学校へ車を走らせたという。
なぜその時に一緒に避難を拒んだのか?
車を降りた理由は?
しばらくはその意味が解りませんでした。