マルニ食品の「ホルモン焼き」をご存知でしょうか。
宮城県民のソールフードです。
無性に食べたくなるんですが長野県内のスーパーではなかなかお目にかかれない、というか見たことが無い。
白米のおかずにも酒のつまみにも最高です。
元々味が付いているのでフライパンで炒めるだけ。
久しぶりに食べました。
美味い。
美味過ぎです。
以下マルニ食品ホームページより。
マルニ食品は、昭和40年に宮城県仙台市で誕生。「素材を活かす」をコンセプトに、良質な原材料とその旨味を最大限に引き出す味付けで、東北そして宮城の地で愛されてきました。
創業当時から50年以上一貫した味の「味自慢ホルモン焼」をはじめ、生の豚ホルモンにピリッとした辛さの味付けをした「てっぽう焼」、おつまみとしても人気の「ねぎ塩ホルモン」など、ご自宅で手軽に楽しめる商品を多数取りそろえております。
父親を亡くして10年と6か月。
子供の頃、自宅の敷地内に父親の仕事場がありました。
金属加工業を一人で営む小さな作業場です。
高度経済成長期と言われる1960年代から1970年代、その後の1980年代からの安定成長期のタイミングはとても仕事が忙しく下請けの小さな作業場も昼夜を問わず絶えず機械が動いていました。
かなりの設備投資をし旋盤やフライス盤、ボール盤...などたくさんの工作機械が並んでいたのも景気がよかったから。
油にまみれて金属を切断したり研削したり、研磨したり、溶接したり。
自分たちが寝る時間になっても、機械の動く音がうるさく、煌煌と灯りが差し込んできて眩しくて、眠れないと母親に文句を言ったものです。
今考えれば家族の為に夜遅くまで働いてのに。
まさに「親の心子知らず」です。
そんな父親の夜食を母親が用意をしたりして。
その時によくホルモン焼きを出していました。
仕事を早く終え晩酌の際にも食べていました。
子供心にも堪らなく美味そうに見えてつまみ食いしたものです。
ホルモン焼きは思い出の味です。
巨大津波が押し寄せ生まれ育った名取市閖上の町は跡形もなくなって。
行方がわからない父親を捜しに実家に行った時、作業場に所狭しと並んだ1~2トンほど、それ以上かも...の工作機械が全て流されてどこにも見当たりません。
どこまで流されてしまったのだろう...。
東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともにご遺族の皆様にお悔み申し上げます。