あの忌まわしい震災から今日で9年1か月。
今日は父親の月命日でもあります。
上記の画像は生まれ育った宮城県名取市閖上(なとりしゆりあげ)。
2011年3月11日14時46分、マグニチュード9.0。
観測史上最大の大地震が発生。
巨大な黒い津波は全てを押し流し甚大な被害をもたらしました。
画像上、我が家は右側の道路沿い。
笹かまぼこの工場『佐々圭』(ささけい)の看板が貼り付いています。
その手前に2台の路駐した車。
そこが生まれ育った僕の実家です。
生い茂る木が1本。
道路沿いの敷地内に植えてあったのは大きな柿の木でした。
1つ下の弟とよく木登りをして遊んだものです。
木登りをして遊んだ後は決まって体中に強い痒みと痛み。
そんな時は必ず毛虫が体を這っていたものです。笑
あの少年時代が本当に懐かしい。
震災後はこぞって自粛モード。
壊滅という言葉はこういう時に使うものかと。
目を覆うような被害状況。
信じられないほどに並んだ棺の数...。
寄り添い励まし合い過ごしました。
震災直後には『生きる』というを誰もが真剣に考え向き合いました。
思い出します。
あの時に感じた命の大切さ。
今は命の大切さを感じながらも真逆。
人が集まることが悪とされ『自粛ムード』で感染リスクを少しでもへらそうと。
命の尊さを改めて考えさせられます。
今回のコロナ騒動で、最善を尽くし感染予防や診療等の業務に従事し医療を支えている看護職をはじめ医療関係者の皆様に心から敬意を表したいと思います。
『東日本大緒震災』
死者1万5899人、重軽傷者6157人。
未だに行方不明者が2529人。
震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
そして、被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。