東日本大震災で感じたあのおぞましい強い揺れ。
その後に車のテレビで津波に飲み込まれる生中継に観入りました。
その映像では明らかに実家近くの映像も確認できました。
「ヤバイ!コレうちの近くだ!」
なんとも言えないザワザワした気持ち。
何度も父親に電話しても繋がりません。
鳥肌が止まりませんでした。
幼い頃から地震がくると必ずと言っていいほど父親にこう言われました。
好きな番組を観ていたとしても強制的に寸断されチャンネルはNHKに。
各地でどれほどの揺れがあったのか地震速報を。
NHKにチャンネルが変わり各地の震度を確認する。
それを観たからと言って特にその後の行動に変化があったわけではありません。
もっとも地震によって身の危険を感じるようなことなど無かったからです。
港町の名取市閖上では地震の後には津波が来る...と言われて父親も育ったはず。
でも「どうせ来ねーよ」ってのが口癖でした。
1978年の宮城県沖地震の頃、僕は5歳。
庭で遊んでいた時に感じた震度5の強い揺れに驚いたのを覚えています。
その時ですら津波被害などはありませんでしたし。
しかしあれほどまでの揺れならば...
もっと早く非難していれば助かったかもしれないのに…と思ってしまいます。
NHKで東日本大震災十周年追悼式の中継を観ながらそう思ってばかり。
14時46分、線香をあげ手を合わせました。
20-21シーズン16日目は白馬八方のバックカントリーでした。
スノーボードを始めた頃ぐらいから一緒に滑っている幼馴染。
なかなかハードなコンディションの中でしたが、途中ザラメのバーンでは面白いほど板が走り楽しめました。
ドロップする時間が少々早かったようです。
しっかり緩んでからが良かったかも。
判断が難しいですね。
滑り出しは硬かった!
後戻り出来るような斜度ではありません。
躊躇したけど仕方がありません。
悔しい。
クラックがだいぶ進み気が抜けない状況になってきました。
高低差が大きいだけに状況は様々。
何はともあれ久しぶりの再会とセッション。
お疲れ様でした。
夕方にもう一人の同級生と松本駅前で再会。
震災から10年の節目の日に地元の親友らと再会。
共に被災し大変な時を過ごした仲間。
短い時間でしたが特別な時間でした。