東日本大震災から9年10か月が経ちました。
「もう10年も経つのか...」と。
本当に早い。
同時に10年前の記憶が10年前とは思えない。
なんだか不思議な感じです。
あの日は本当に良い雪が降っていました。
会社の試乗会イベントで福島県のアルツ磐梯スキー場に居ました。
午前中は地元のスノーボーダーにとっておきのツリーランコースをアテンドしてもらい、深いパウダーを滑って浮かれていたのを覚えています。
2011年3月13日(日)14時。
連絡の取れない父親と弟を捜しに妻の実家から一人で向かいました。
幹線道路は寸断されていて全く通れない状態。
裏道を駆使しなんとか近くまでたどり着く。
土手を登り、大きな橋のたもとまで来る。
写真は閖上大橋の上から、仙台新港を背にして撮った1枚。
この景色を見た時の衝撃と言ったら生まれて初めて味わった感覚です。
この世の終わりだと。
生まれ育った町は壊滅状態。
そこには決してあるはずが無い津波で押し流されてきた住宅、車、漁船、瓦礫...
きっと家族は全員死んでしまったんじゃないか...と。
結果、弟は職場から腰まで水に浸かりながら遠く離れた小学校に避難していて。
数日後なんとか再会できました。
海岸近くの職場だった弟は、津波に飲み込まれるギリギリのところで職場の屋根によじ登りなんとか九死に一生を得たそうです。
雪の降る中、屋根から見える実家付近は一面海水に覆われてあちらこちら炎上していて。
夜空には救助のヘリが飛び交う。
そんな話を後から聞かされました。
助かって本当に良かった。
弟と再会後、二人で父親を捜し回りました。
可能性のある避難所をあちこち捜しましたが見つからず。
どうか無事でいて欲しいと願うばかり。
津波から逃げる途中に怪我をして病院に運ばれたのではないか。
連絡するにも怪我で身動きが取れない状態ではないのか。
結局、1週間ほどして遺体となって見つかりました。
逃げる際に車ごと津波に飲み込まれていたようです。
本当に馬鹿野郎な父親です。
10代で母親を病気で亡くし、20代で父親を震災で亡くした弟が無念で仕方がない。
同時に兄として申し訳なく思う。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族の皆様にはお悔み申し上げます。
合掌。